椿の歴史2
千利休の弟子の一人で信長の弟の織田有楽斎も侘助椿を好み、関ヶ原の戦いの後に徳川家康に仕え、数寄屋橋御門の周辺に屋敷を拝領し、その屋敷跡が有楽原と呼ばれ、明治時代に「有楽町」と名付けられた。その有楽斎にゆかりの深い名花として数寄屋侘助、有楽椿があります。
数寄屋侘助
将軍家の茶道指南の後継者の小堀遠州も椿を好み、茶会記での初見に白玉椿で、もてなしている。今日では、着物に遠州椿という柄があります。
絞り初嵐(初嵐は白玉の別名)
茶の湯でも縁の深かった秀忠、家光は、椿を東都江戸の木、征夷大将軍徳川家の守護木とし、江戸城に国内各地の椿を集めました。
江戸では上流武士に人気が広まり、園芸家の椿に関する多数出版されました。(武士は花ごと落ちる椿を首が落ちる様を連想させる為嫌ったという俗説がありますが、どちらかと言えば、鮮やかに咲いている時に花ごと落ちる姿を「潔し」として好んだようです)
その後、上流武士の間で根付いていた椿が、園芸家の品種改良などにより民衆のものとして花開きツバキブームとなりました。
19世紀頃には、ヨーロッパでも椿の人気が高まりアレクサンドル・デュマ・フィスの小説「椿姫」がベストセラーとなったり、20世紀には、ココ・シャネルが最愛の恋人から最初に贈られた花が椿だったと言われており、シャネルは椿をこよなく愛し「CHANEL」のモチーフとなり、カメリア・シリーズなど様々な椿に関する商品が販売されているようです。
今では、椿は形を変え世界中の人に愛されているのですね(^.^)
いやー椿は本当に美しい!